僧侶的  いま・ここ

仏教とは、仏の教え、つまり、ものの見方の事                 【禁】複製・転載

試みに、筆を持って、横線を書いてごらん。そう、漢数字の「一」を。


どうかな?その「一」は?
上手に書けたかな?それとも、思うようにいかなかったかな?


もし、今、あなたが書いたその「一」に、あなたの全てが現れていると指摘されたら、どう思うかな?


「勝手に決めんなよ。そんなんで、何がわかるんだよ!」って、思うかな?
確かに、そうだよね。そんな「一」の字ひとつで、俺がわかってたまるかって、ね。

でもね・・・


高校生の頃、小林秀雄が好きでよく読んでた。『西行』とか『無常といふ事』とか。
評論はともかく、小林から二つの事を学んだ。
そのひとつは、作家の本を全集で読む事。
大学の頃、坂口安吾や中島敦、そして、吉田松陰なんかに取り組んだ。
リルケの原文は、数ヶ月で挫折しちゃったけどね・・・。

もうひとつは、審美眼を養う事。つまり、本物を見るって事。
縁あって、遠州流の茶道を学び、美術館や博物館に通ったよ。
でもなかなか難しいし、実際、そんなに解るもんではないね。好き嫌いもあるしさ。
でも、本物に触れる事は大切だと思う。芸術でも人間でも・・・


タイトルは失念したけど、小林と亀井勝一郎がバスに乗って、伊豆を散策している時の話。
確か、亀井勝一郎だったと思うんだけど、まぁ、いいや。
そのバスに、地元の女子高生が乗ってきた。
彼女の顔を見た瞬間、小林は亀井に、これから彼女が歩む人生が見えるって、伝えるんだ。
すると、亀井が「俺も見える」と応えた。


顔を見た瞬間、その人が解る、もしくは、解ったような気になる。
手相というのもあるし、人相というのもある。
もっと簡単にたとえれば、電話でもそうだろう。
相手が目に見えなくとも、なんとなく、わかる。
どんな思いで話をしているかって。
だいたい、人は声を聞けば、ね。

そういうことって、考えてみれば普通にやっていることだろう。
ほら、第一印象や先入観とか、この言葉は特別なものではないよね。
第一印象が良かったとか、先入観を持って彼を見たとかってね。


そう、それと、同じ事なんだ。小林や亀井が見たものは。
ただ、その瞬間に、得る物・気付く物を正しく受け止め判断する力があるんだ。
それはおそらく、人生の波にもまれ、苦しみ、あがいた結果、身についたものだろう。
そして、それと同時に、彼らが本物を知っていたからだろう。


最初にいったね。本物の芸術と本物の人間に会う事の大切だって。
お拝をして教えを請える人に会えれば、そんな師と呼べる人に会えれば、幸せだよ。
だからこそ、常に審美眼を磨き、感度を良くしていなければならない。



坐禅の修行に独参<どくさん>というのがあるんだけど。
坐禅中に、師が鈴を鳴らす。これは見解<けんげ>をもってこいという合図だ。
すると、修行者は一目散に走って、喚鐘場に並ぶ。
そして、師の合図のチリンチリンが聞こえるや、喚鐘をふたつ打つ。カーン・カーンってね。
本当はそのカーンの鐘の音ひとつで、勝負あり、なんだって。

そう、「カーン」に全部が現れている、足音に全部現れている、呼吸ひとつに、お拝の姿に・・・だから、もう一度坐りなおしてこい、とチリンチリンって、鈴が鳴る。



さて、最初の「一」の話だけど、やっぱり解るんだよね。見る人が見れば、解る。


「書は心だ。上手い下手ではないんです」という意見もある。
けれど・・・考えてごらん。
いくら真心があっても、それを上手に表現できなければ、もったいないよね。




若い頃は年上のお姉さんに惹かれてしまう事が多い。
僕も経験があるけれど、近所にとても優しく綺麗な人がいてね。
ませたガキだったんだね、お姉さんに憧れてた。
朝、「おはよう」と挨拶をするだけで、その日の訪れを感謝したくなるくらいの人だった。
会えない朝は、学校を休もうと思うくらい、落ち込んだ。

そんなある日、僕は彼女の落とした手帳を拾うことになる。
その手帳に書かれた字を見たとき、僕は・・・



字の話から進めてきたけど、じゃあ、お前の字はどないやねん、と言われると・・・




いざ、練習。



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法話


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修業と修行

業を修めると書いて、修業。
学芸を習い修めるのが、修業。
一事を究めようと、一事に秀でようと、修練を重ねる。
和菓子職人になるための修業、小説家になるための文章修業。
習得がすめば、その修業は卒業できる。


行を修めると書いて、修行。
仏道や武道を修めるのが、修行。
一つ一つの行いを丁寧に修めていくのが、修行。
お寺で坐禅修行、技を極めたものが道場を巡って武者修行。
心掛け次第で、どこまでも深めていける。



鈴木正三が、弟子の恵中に示した。「修行とは、我を尽くす事なり」


「我を尽くす」とは?
自分の為に、懸命に励む事のように思うけど・・・
頑張っている俺には、褒められたい俺がいる。
努力している私には、認めて欲しい私がいる。
頑張りや努力のそばに、他人と比べる自分が顔を出す。
隣りを横目で覗く事でしか、自分を確認できない。




止むにやまれぬ思いから、禅門に飛び込んだあの日、お師匠様からこんな教えをいただいた。
「いま・ここ・一所懸命」 「他人と自分を比較する事をやめなさい」と。




慙愧に耐えないけれども・・・
我を尽くすとは、自分という塊に拘泥しない事。




我を尽くす時、実は、我ならざるものはない。




いま・ここに、全てがあった。






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法話


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他己

夕方、かったるそうにレジを打つ30前の店員。
小銭を取り出すのに手間取っている老婆に、小さく吐き捨てた。
「うぜぇ、早くしろよ」
1時間なんぼの仕事にさえ、プライドが持てないのか?
こんな店員を雇い、使いまわして捨てるのも、これもまた、雇われの店長。




「母子家庭になったおかげで、市営住宅にも入れたし、手当ても結構、貰えるの」と、カウンターで、寿司をほおばりながら語る女。
「5年前に離婚届けをだしてさ、でも、実は、・・・ずっと、旦那と暮らしてるのよ、凄いでしょ。だって、こんな時代、真面目にやったら、貯金もできないわよ。
子供?いるわ。小学生と中学生の二人の息子」

利権目当ての偽装離婚。
その親の背中は、どんなふうに、子供に映るのだろうか?
くすねた金じゃあ、うまい酒は飲めやしない。




大きなバイクを買っても、任意保険に入らない理由は、「金がないから」
高級車を転がしても、娘の保育料を払わぬ親。
ブランド物のバッグを持つために、「援助」を求める女。


そりゃあ、いい物はいい。でも、本当はどうなのか?
消費による自己実現。晦まされた人の価値。
自由とはお金の事かい?




道元禅師は、他にも己という字をつけ、他己<たこ>と現した。
自分と他人ではなく、自己と他己。
自分と他人の二つではなく、己ひとつ。
ふたつの対立の世界ではなく、へだてのないひとつの世界。
己ひとつの世界だよ、と。


自分の物は俺の物、他人の物も俺の物とするのは、蛸野郎の論理。


他己、それは、他もまた己にほかならぬ事。
自己とは、自分に現れた己であり、他己とは、他に現れた己の事。
つまり、すべてが己。



己ひとつが解れば、老婆が己の姿と重なるだろう。

己ひとつが解れば、世間を騙す事は、己自身を騙す事に気付くだろう。

己ひとつが解れば、この命もその金も、預かり物だと知るだろう。




己ひとつの世界だからこそ・・・愛おしいのだ。










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法話


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