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11/11/2007 Sun 07:46 |
修業と修行
業を修めると書いて、修業。
学芸を習い修めるのが、修業。 一事を究めようと、一事に秀でようと、修練を重ねる。 和菓子職人になるための修業、小説家になるための文章修業。 習得がすめば、その修業は卒業できる。 行を修めると書いて、修行。 仏道や武道を修めるのが、修行。 一つ一つの行いを丁寧に修めていくのが、修行。 お寺で坐禅修行、技を極めたものが道場を巡って武者修行。 心掛け次第で、どこまでも深めていける。 鈴木正三が、弟子の恵中に示した。「修行とは、我を尽くす事なり」 「我を尽くす」とは? 自分の為に、懸命に励む事のように思うけど・・・ 頑張っている俺には、褒められたい俺がいる。 努力している私には、認めて欲しい私がいる。 頑張りや努力のそばに、他人と比べる自分が顔を出す。 隣りを横目で覗く事でしか、自分を確認できない。 止むにやまれぬ思いから、禅門に飛び込んだあの日、お師匠様からこんな教えをいただいた。 「いま・ここ・一所懸命」 「他人と自分を比較する事をやめなさい」と。 慙愧に耐えないけれども・・・ 我を尽くすとは、自分という塊に拘泥しない事。 我を尽くす時、実は、我ならざるものはない。 いま・ここに、全てがあった。 記事の続き |
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11/04/2007 Sun 20:08 |
他己
夕方、かったるそうにレジを打つ30前の店員。
小銭を取り出すのに手間取っている老婆に、小さく吐き捨てた。 「うぜぇ、早くしろよ」 1時間なんぼの仕事にさえ、プライドが持てないのか? こんな店員を雇い、使いまわして捨てるのも、これもまた、雇われの店長。 「母子家庭になったおかげで、市営住宅にも入れたし、手当ても結構、貰えるの」と、カウンターで、寿司をほおばりながら語る女。 「5年前に離婚届けをだしてさ、でも、実は、・・・ずっと、旦那と暮らしてるのよ、凄いでしょ。だって、こんな時代、真面目にやったら、貯金もできないわよ。 子供?いるわ。小学生と中学生の二人の息子」 利権目当ての偽装離婚。 その親の背中は、どんなふうに、子供に映るのだろうか? くすねた金じゃあ、うまい酒は飲めやしない。 大きなバイクを買っても、任意保険に入らない理由は、「金がないから」 高級車を転がしても、娘の保育料を払わぬ親。 ブランド物のバッグを持つために、「援助」を求める女。 そりゃあ、いい物はいい。でも、本当はどうなのか? 消費による自己実現。晦まされた人の価値。 自由とはお金の事かい? 道元禅師は、他にも己という字をつけ、他己<たこ>と現した。 自分と他人ではなく、自己と他己。 自分と他人の二つではなく、己ひとつ。 ふたつの対立の世界ではなく、へだてのないひとつの世界。 己ひとつの世界だよ、と。 自分の物は俺の物、他人の物も俺の物とするのは、蛸野郎の論理。 他己、それは、他もまた己にほかならぬ事。 自己とは、自分に現れた己であり、他己とは、他に現れた己の事。 つまり、すべてが己。 己ひとつが解れば、老婆が己の姿と重なるだろう。 己ひとつが解れば、世間を騙す事は、己自身を騙す事に気付くだろう。 己ひとつが解れば、この命もその金も、預かり物だと知るだろう。 己ひとつの世界だからこそ・・・愛おしいのだ。 記事の続き |
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10/07/2007 Sun 14:11 |
誓願を生きる
先日、5歳になる姪にこんな事を質問されました。
「世界で一番、偉い人ってだれかな?」と。 どうでしょうか? 皆さんは、この世で、一番偉い人って誰だと思いますか? 政治家や弁護士、そして、お医者さん。そんな風に、ステータスとされる職業に就いている方を思い浮かべるかもしれません。 けれど、その職業や地位が偉いのか?その人が偉いのか? また、そんな地位や肩書きよりも、もっと端的に、預金通帳の残高が多い人、或いは、財をなした人が偉いのだと、答える方もいるでしょう。 お金のあるなしだけで、人生の勝ち負けが決まってしまう、そんな時代でもあります。 お金は大切だけれども、お金が偉いのか、その人が偉いのか・・ 私は、姪に逆に問いかけました。 「えりちゃんなら、誰だと思う?」 パパやママと答えるかなと思いましたが・・・ もし、法慧ちゃんと答えるなら、おもちゃでも買ってあげようと思っていましたが、その答えは「アンパンマン」でした。 予想外の答えに驚き、熱があるのかと彼女の額に手をやりながら、 「なんで、アンパンマンなの?」と尋ねてみました。 「だってね、アンパンマンって、すごくやさしいでしょ。 悪い事するバイキンマンをやっつけて、とっても強いし。 それに、おなかのすいた人には、自分の顔を食べさせちゃうんだよ。 だから、とっても偉いなって思うの」 と、そう語る彼女は真剣で、熱もありませんでした。 私は、アンパンマンを子供の漫画としか思っていませんでしたが、彼女なりに5年間生きてきて、この世で一番偉いのはアンパンマン、と答えるのには、何か根拠があるのだろうと調べてみることにしました。 アンパンマンの作者、やなせたかしさんは、皆さんご存じの歌『手のひらを太陽に』の作詞者でもあります。 やなせさんは、ご自身の生い立ちや戦争の体験をもとに、アンパンマンに、本当の正義とは何か、という思いをぶつけていたのだと知りました。 我が身を捨てる、我が身を献じる心なくして正義は行われないという思いから、アンパンで出来た顔が、欠けたり濡れたりするとその力を失うという弱点がありながらも、溺れそうな人を見れば、ためらわずに水に飛び込み、ひもじい思いをしている人をみれば、アンパンマンが自らの顔をちぎり食べさせる事によって、人を救うという姿を描いています。 アンパンマンは、再生可能な顔を持つから、そんな事ができるのだ、と見る人もいるでしょう。現実にはありえないよ、と言う人もいるでしょう。 しかし、その道を歩むと決めた者にとっては、いくら挫折したとしても、たとえ、志半ばで倒れたとしても、やはり、それを貫かないではいられないと思うのです。 やなせさんは、この作品を通して、何のために生まれて、何のために生きるのかを問い続けています。あなたは、何のために生まれて、何のために生きるのか? 彼女がアンパンマンを偉いと感じたのも、やなせさんの願いに響いたからでしょう。 お釈迦さまは、このようにおっしゃっています。 「人は、地位や生まれ、姿によって、偉いのではない。 その人の行いによって、賤しい人ともなれば、偉い人ともなる。」 その人の行いによって、決まる。 では、その行いとは、なんでしょうか? やなせさんの言葉を借りれば、何のために生まれて、何のために生きるのかの答えこそが、行いであります。 そして、行いとは夢であり、誓いであり、願いである。 すなわち、人生とは、夢を生きることであり、誓願を生きることだと言えます。 地位や名誉や、お金があるかないか、は結果です。 結果のみを見ることより、むしろ、今どのような夢や誓願を抱いて生きているのかを、問わなければならない。 今年の夏、ある経営コンサルタントの方とお会いするご縁がありました。 名刺を交換した直後、いきなり、彼がこんな事をいいました。 「この鞄の中に3億円があります。 これをあなたに差し上げると申し出たら、どのようにお使いになりますか?」 私は、「坐禅堂を建てます」と、即答いたしました。 私は、二十歳の頃、大切な方との別れがありました。 それが契機になり、禅の世界にひかれていきました。 はじめて訪れたお寺に、坐禅堂がありました。 そのお寺の方丈様は、共に、坐る事を許してくださいました。 結果、そのご縁で頭を剃る事にもなりました。 あの頃の私と同じ人のためにも、坐禅堂を作り、共に坐る場を作りたいと願っております。 結局、3億円はいただきませんでしたが、彼は笑いながらいいました。 「この質問を経営者の方々にしますが、多くの方が貯金をする、と答えます。 貯金をして、しばらく使い道を考えます、と。 慎重になるのは結構ですが、でもそれはちょっと違うな、と思うのです。 今、本当に夢を生きていれば、正しい願いを生きていれば、答えられるはずです」 夢や誓願を生きるとき、仏教徒として忘れてはならない誓いがあります。 一切の悪いことは誓っていたしません。 一切の良いことを誓っていたします。 すべての人のため、社会に尽くすことを誓います。 この誓願の原点は、すなわち、南無帰依仏であります。 仏に帰依すると信じたときに、我が仏である、と気づいた時、自ずとこの誓願が体に表れてくる。 人のため、世のために、この身を尽くさないでおられない。 それは、叱られたくないから、捕まりたくないから悪いことをしない、というものではありません。また、褒められたから、他人に良く思われたいからいいことをする、のでもありません。 泥棒は、盗めば泥棒です。 警察に捕まらなくとも、検察に起訴されなくても、裁判で実刑を受けなくても、盗めばそれは泥棒です。そんな世間の取り決めややりとりではない。 でも、難しくはない。 アンパンマンにも出来るし、5歳の女の子にも、その尊さは理解する事ができる。 だからこそ、共に、南無帰依佛と手をあわせ、この誓願を持って、本当の偉い人となる歩みをいたしましょう。 一切の悪いことは誓っていたしません。 一切の良いことを誓っていたします。 すべての人のため、社会に尽くすことを誓います。 ご清聴ありがとうございました。 記事の続き |
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法話 21 Comments |