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03/10/2006 Fri 07:20 |
同じもの
お釈迦さまが皇太子としてお城にいた時、季節ごとの宮殿を与えられ、多くの美女に囲まれて、毎日を過ごしていたと伝えられております。
その裕福な暮らしは、現在の日本と似ているとも言えるでしょう。 ある日、お釈迦さま供の者を連れて、東門から出ようとした時、腰が曲がり、杖にすがってよろけ歩く者の姿を見ました・・・ 「あれは何か?」と、お釈迦さまは、従者に尋ねました。 「老人であります」と、従者は答えました。 「老人とは何か?」 「はい、人は、誰でも年を取るとあのような姿になります」 「従者よ、お前も老人になるのか?」 「はい、さようでございます」 「この私もやがては老人になるのか?」 「はい、さようでございます」 ある日、南門から出ようとした時、病に苦しむ者の姿を見ました・・・ 「あれは何か?」 「病人であります」 「病人とは何か?」 「はい、人は、誰でも病にかかるとあのような姿になります」 「従者よ、お前も病人になるのか?」 「はい、さようでございます」 「この私もやがては病人になるのか?」 「はい、さようでございます」 ある日、西門から出ようとした時、葬送の列に会いました・・・ 「あれは何か?」 「死人であります」 「死人とは何か?」 「はい、人は、誰でも命が尽きるととあのような姿になります」 「従者よ、お前も死人になるのか?」 「はい、さようでございます」 「この私もやがては死人になるのか?」 「はい、さようでございます」 ある日、北門から出ようとした時、道を求めて托鉢をする修行者の姿に会いました・・・ 「あれは何か?」 「沙門であります」 「沙門とは何か?」 「はい、人は、この世の不条理さに気付いた時、己を捨て真実のいのちの在りかを探すものです」 「従者よ、お前も沙門になるのか?」 「いいえ、これは、選ばれし者のいばらの道でございます」 「この私もやがては沙門になるのか?」 「・・・・・」 この東西南北の門のくだりを、四門出遊といいます。 お釈迦さまのご出家の因縁のひとつであります。 生老病死の苦しみは、いつの時代においても、人が人として生きる限り不変のものです。なぜなら、時代は遷り変わっても、人間の本質は、変わらないから。一日生きれば、一日老いるし、転べば痛いものです。 お釈迦さまは、私たちと全く同じものを見ました。 その全く同じものを見て、真実の生き方を求められました。 何、不自由ない暮らしの中で・・・ 他者の悲しみを我が悲しみとして・・・ この世の苦しみを我が苦しみとして・・・ 私たちは、本当に大切な人の死でさえ、思い出という美しい言葉ひとつで解決をはかり、その真実から眼をそらしているのかもしれません。 本当は、大切な人のその最後の姿から、感じ取る事や学び取る事をしなければならないのに。 今回の旅で・・・ お釈迦さまの教えを学ぶだけでなく、そのご生涯を学ぶ事によって、より信仰を深め、智慧と安心、そして、生きる勇気を得られるのだと強く確信いたしました。 三衣一鉢のみを持し、樹下石上に横たわる。 裸足でこの道を歩き、その欲をほしいままにせず。 お釈迦さまのご生涯を思うとき、私は僧侶だと言えなくなります。 しかし、親しく親しくこの道を慕う者として、この教えとご生涯を伝えていきたい、と希っております。 |
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法話 0 TrackBacks 7 Comments |
Comment
人
remainsさん
釈迦も達磨も、今なお、修行中。
かつて、何もかもから逃げて自殺してしまおうかと思い悩んだ頃を思い出しました。
つらいことが起きても
何事もなくても
そんななかで「くすり」と笑えるようなことがあったとしても
ひとは行き続けていくんだなぁ、と。
昨夜まで線路脇で飛び込む頃合を伺っていたわたしが
翌日にはおなかもすくし、うんこもする。
生きていくことこそが修行なんだなぁ、と。
今はかつてより
すこし鈍感を装いつつ、淡々と日々、生きております・・・。
つらいことが起きても
何事もなくても
そんななかで「くすり」と笑えるようなことがあったとしても
ひとは行き続けていくんだなぁ、と。
昨夜まで線路脇で飛び込む頃合を伺っていたわたしが
翌日にはおなかもすくし、うんこもする。
生きていくことこそが修行なんだなぁ、と。
今はかつてより
すこし鈍感を装いつつ、淡々と日々、生きております・・・。
eMoonさん
こんなブログで、話をしておりますが・・・
自意識だけで生きていた頃、朝、目がさめた時、「なんで、まだ、生きているのだろう」と、悔恨の情に苛まされた最低の人間です。
未だに、生きている事さえ恥ずかしくなる時もあります。
禅を知り、幸いに師匠とめぐり合い、こんな愚かな自分でも、お一人でも救う事ができれば、と願いを掛け生きております。
辛く、苦しく、儚い、憂き世なれども、
共に、楽しく、潤う、この世としたいですね。
自意識だけで生きていた頃、朝、目がさめた時、「なんで、まだ、生きているのだろう」と、悔恨の情に苛まされた最低の人間です。
未だに、生きている事さえ恥ずかしくなる時もあります。
禅を知り、幸いに師匠とめぐり合い、こんな愚かな自分でも、お一人でも救う事ができれば、と願いを掛け生きております。
辛く、苦しく、儚い、憂き世なれども、
共に、楽しく、潤う、この世としたいですね。
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よかったと思います。
『四門出遊』遭遇しなければ、そのままだったのですね。
ということは、ご縁があったのですね^^
よかったと思います^^
ということは、ご縁があったのですね^^
よかったと思います^^
Pokopenさん
本当に、よかったですね。
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我々にとって励みであり標であります。
又、越えるべき目標にもなりまする。
日々共に精進いたしましょう。