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03/04/2008 Tue 10:05 |
待合室 |
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禅語・仏教語・言の葉 7 Comments |
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実感だが、・・・
私の実体験だが、
三男が生まれた年に祖父が他界した。
三男が生まれたのは夕方。
朝からずっと参院の待合室で待った。
祖父が死んだのは40日ほどの危篤状態が続いたある日の昼前。
この40日は、死を待つのだが、この「待つ」感じが何かに似ていると思った。
それは、三男の産声を「待つ」ことだった。
三男が生まれた年に祖父が他界した。
三男が生まれたのは夕方。
朝からずっと参院の待合室で待った。
祖父が死んだのは40日ほどの危篤状態が続いたある日の昼前。
この40日は、死を待つのだが、この「待つ」感じが何かに似ていると思った。
それは、三男の産声を「待つ」ことだった。
「待つ」こと
今一言付け加えるならば、
「いのち」なるもの、人間にできることは、
ただ「待つ」ことのみ、か。
生まれるときも、待つ。
死すときも、待つ。
そのおとずれを、待つ。
待つ間こそ、人生、とも思う。
(あぁあ、早く孫の顔が見たいナァ。でも、その前に、子供たちの伴侶を見つけなくては!)
「いのち」なるもの、人間にできることは、
ただ「待つ」ことのみ、か。
生まれるときも、待つ。
死すときも、待つ。
そのおとずれを、待つ。
待つ間こそ、人生、とも思う。
(あぁあ、早く孫の顔が見たいナァ。でも、その前に、子供たちの伴侶を見つけなくては!)
終わりははじまり
お話を読んでいて思い出したんですが、お葬式の場に子供や赤ん坊がいると、とても救われた気持ちになると聞いたことがあります。
特に生まれて間もない赤ん坊がいると、みんなであやしたりする。そのことで、場が和むんでしょうかね?僕は、とても人間的な暖かい瞬間。「希望」を感じさせる瞬間だなと思います。
特に生まれて間もない赤ん坊がいると、みんなであやしたりする。そのことで、場が和むんでしょうかね?僕は、とても人間的な暖かい瞬間。「希望」を感じさせる瞬間だなと思います。
ひろみつさま!
>終わりははじまり
赤ん坊のいる葬儀・供養。
ほんとですね。「希望」を感じることができますね。
ありがとうございました。
(管理人様、勝手に伝言板にしてしまいました。ゴメンナサイ)
赤ん坊のいる葬儀・供養。
ほんとですね。「希望」を感じることができますね。
ありがとうございました。
(管理人様、勝手に伝言板にしてしまいました。ゴメンナサイ)
ご無沙汰しました
お久しぶりです。
2月に母が急逝、同時に両親の債務の額が聞いていたよりだいぶ多いことなどが判明し、不動産業者〜税務署〜法務局と奔走し続けており、ご無沙汰いたしました。
この2年間で、友人と母を失いました。
おかげさまで、彼女たちが「遺してくれたものの大きさ」で、なんとか前へ進むことができています。
先日の日曜が母の七七日、明後日の土曜は友人の三回忌です。花の季節に散ったふたりが、彼岸にて邂逅している気がします。
2月に母が急逝、同時に両親の債務の額が聞いていたよりだいぶ多いことなどが判明し、不動産業者〜税務署〜法務局と奔走し続けており、ご無沙汰いたしました。
この2年間で、友人と母を失いました。
おかげさまで、彼女たちが「遺してくれたものの大きさ」で、なんとか前へ進むことができています。
先日の日曜が母の七七日、明後日の土曜は友人の三回忌です。花の季節に散ったふたりが、彼岸にて邂逅している気がします。