僧侶的  いま・ここ

仏教とは、仏の教え、つまり、ものの見方の事                 【禁】複製・転載

ママはどこ?

彼女は血圧の薬を常用していた。
しかし、その事以外は普通の暮らしぶり。

朝5時半に起きて朝食を作り、夫と小学1年生の娘を送りだす。
最近は、近くの工務店で経理の勤めを始めた。

家族や友人そして勤め先の人までが、
彼女の屈託のない笑顔に、勇気づけられ、また、慰められていた。
多くの人が、彼女の底抜けに明るい人柄を慕っていたという。


それは9月の夕方であった。
帰宅した娘が目にしたのは、台所に倒れて大きく鼾をかく母の姿だった。
懸命な祈りも届かず、36の最期であった。


「若いのに、なんで?」と、叫ぶ友がいた。
「小さな子がいるのに、可愛そう」と、囁く声がこだまする。

大切な人を亡くした親子を慰める言葉は、誰も持っていない。


泣き腫らした目をしながら、父のそばに、ちょこんと座る娘。
幼い心に母の死を理解しようとするのか、黙り込んでいた。
妻の位牌を持つ夫の片手は、一瞬たりとも娘の肩から離れることはなかった。


儚い命である事に、改めて気付かされながらも・・・
不条理な現実は、やはり、受け入れ難い。

移り変わるこの世の理も、この場には救いにもならない。





「○○ちゃん、さよならも言わないで、ママは逝ってしまったけれど・・・ママを悪く思わないでね。
こんなふうにお別れをするなんて、ママも思ってもみなかったんだよ。

○○ちゃんの成長を見届けられないのは、
ママにとって、とても悲しく、とても辛い事でしょう。
もっと、○○ちゃんと、色んな事をお話したかったでしょう。
もっと、○○ちゃんと遊んだり、旅行したりもしたかったでしょう。
もっと、もっと、あなたのそばにいたかった。

○○ちゃんも、ママの事が大好きでしょう。
ママも○○ちゃんの事が、ほんとうに大好きだったと思うよ。


「ママは、どこに行くの?」って、パパに聞いたんだってね。
パパからね、わかりやすく教えてくださいと、言われたよ。

あのね、ママは、決して、遠い処に行ってしまうのではないんだよ。
あなたの思いの届かぬ処へ、消えて無くなったんじゃあないんだよ。

じゃあ、どこだろう?

○○ちゃん、あなたの中にママはいないだろうか?

朝、ママと一緒に目覚め、学校に行く。
学校では、お勉強したり運動したり、お友達と遊んだり・・・
そして、晩ご飯。独りで食べなきゃならないときもあるだろうけど、そんな時でも、ママはあなたの中に、あなたといっしょにいるんだ、と。

そして、辛い事や苦しい事、悲しい出来事にであった時、
「こんな時、ママならどんなふうに考え行動するするだろうか?」って、問いかけてごらん。
きっと、答えてくれると思うよ。

今はまだ難しいかもしれないけれど・・・
○○ちゃん、ママもあなたもひとつのいのちを生きている。

ママは○○ちゃんと早くさよならを言わなくちゃいけなくなってしまって、可哀相と言われることもあると思う。

でも、これからの○○ちゃんの頑張り次第で、ママの人生は変わるんだよ。
あなたがずるい子になれば、ママは泣いてしまうだろう。
ママはとっても可哀相だ。
でも、優しい子になれば、ママはきっと大喜びするよ。

あなたのママの人生を、可哀相で終わらしたらいけないよね。

○○ちゃん、ママはあなたの事を本当に愛しているよ。
○○ちゃん、ママはあなたの事を本当に愛しているからね。」








MEMO

1、子供へのグリーフケア 

2、死の理解と受容

3、死からの学び

4、死を学ばせる視点
法話


10 Comments

Comment

丁度3年前 主人の従妹の夫が
35の若さで 突然死しました。
病気でもなく 朝 起こしに行ったら
もう亡くなっていたということでした。
その娘さんも その時1年生。

お通夜では みんなを気遣うほど
元気な子でした。
お葬式の時の「パパ〜!」と泣き叫ぶ声が
未だに忘れませんし 私達も健康に
留意しないといけないと 
気づかされた日でした。

お盆に主人の実家へ帰省しました。
彼女は 4年生になっていて
パパそっくりで びっくりするぐらい
大きく育っていました。

懸命に生きている証。
パパがずっと 心の中で 生きているのを
実感した日でした。
2007/09/10(Mon) 13:41:49 | URL | 白蓮華 [ Edit]

白蓮華さん

大切な人との別れは、痛いものであります。
この身を引き裂かれるかのような痛みに耐える6歳の女の子を見て、涙を誘われながら、通夜の法話で語りかけました。
真摯に聞き入る彼女の眼に、私が救われました。
2007/09/10(Mon) 17:09:08 | URL | 慧 [ Edit]

私の妹が他界したのは今から14年前。
彼女の36歳の時。
それまでの2年間の闘病の末の他界。
その当時、4人の子供は小学校6年生を頭に、末の子が年長さんだった。

脳内出血で倒れてからの2年間。
その間、二度も再出血。その度に開頭手術。三度目では、もう、そのまま送ることにしましたよ。

ただ、倒れてそのまま逝ってしまったわけではないのが、今の状況での救いです。
2007/09/11(Tue) 06:52:48 | URL | 大閑道人 [ Edit]

あなたの中に生きている…

子供には…私が幼い時には大変理解しがたい言葉でした。「私の中には私しかいない」とも思ったものでした。

大人になってから、やっと理解できるようになったような気がします。

それでも「あなたの中に生きている…」と言うことは、遠くでもなく、近くでもない、心か頭の中にある大きいような小さいような宇宙の中…という風に現在は感じています。
2007/09/12(Wed) 00:03:46 | URL | いくこ [ Edit]

早いもので父が他界してから6年が経ちました。今日は9月11日なんですが、あの朝、飛行機に乗ってました。父の納骨式に出席する予定だったのですが米国から出られなり、ルイジアナの、ど田舎に飛行機が緊急着陸。仕方ないのでレンタカーで12時間程かけて自宅に引き返して来ました。

今、“チベットの生と死の書”を読んでいますが、死のセクションで暫く止まってます。読まなくちゃ。。。父親の死を受け入れるのに時間が掛かりました。仏教を勉強し始めて、死について少しづつわかってきたように思えます。

○○ちゃんがんばってね!



2007/09/12(Wed) 01:48:29 | URL | アラモ [ Edit]

大閑道人さん

「愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。
どうして恐れることがあろうか?」と、法句経にもありますが・・・煩悩と理解していても、愛情は度し難いものです。第2の矢を受けない生き方をしたいものです。

今月末は、お世話になります。
初相見の好時節、楽しみにしております。
2007/09/12(Wed) 06:20:18 | URL | 慧 [ Edit]

いくこさん

「自今已後、我が諸の弟子、展転して之を行ぜば、則ち是れ如来の法身常に在して而も不滅なり。」と、遺教経にあります。
たとえ、機が熟せず、わからなくとも、頼るべき法がある事を伝えていきたいと、願っております。
2007/09/12(Wed) 06:26:20 | URL | 慧 [ Edit]

アラモさん

大切な人との別れから、死を学ぶ視点を持たなければ、勿体ないなと、思います。
死の学びから、生を活かしていく事こそが、何よりの供養である、と。
仏教への学習は茫々たる感を感じる事もあると思いますが、参禅や接心を核にして、学びを深めていただきたいなと、願っております。
2007/09/12(Wed) 06:36:16 | URL | 慧 [ Edit]

私も36歳。
若いうちは絶対死ぬはずなんてない、その考えは違うと思います。
人間はいつどんな風に死ぬのか分かりません。

だからこそ、毎日子供を抱き締め、愛情を注ぎ、精一杯生きる事の大切さ、そして、人の生き死にを伝えてやるのも親の仕事だと思います。
自分達がどうなっても、子供には逞しく生きて欲しい。命のバトンを彼らに渡し、私達は彼らを通して生き続けるのだという事を教えたいです。
2007/09/12(Wed) 10:39:15 | URL | 神原 [ Edit]

神原さん

素敵な思いですね。
きっと、その思いがお子様にも届いている事でしょう。
2007/09/12(Wed) 17:09:06 | URL | 慧 [ Edit]
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