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07/12/2007 Thu 09:06 |
影法師
先日、久しぶりに、故郷を歩く機会がありました。
繁華街の凋落ぶりに、「これが、あの徳山か」と嘆息いたしました。 輝いて映った物が消えた姿に、改めて、常ならざるものなしと感じました。 20年ぶりの友人との再会。 「よお」の一声で、20年の時が、一気に走り去りました。 昔話のなかで、高校2年の頃、「人生は歩く影法師、その姿を見失うな」と、言葉を頂いた事を思い出しました。 あの頃、自分の影法師は、どんな姿をしてただろう? あの時、抱いた夢や希望の影法師は、どこに行ったのだろう? そして、今、私の影法師は、どんな姿なのだろう? 恵心僧都<えしんそうず>・源信の名は、中学の教科書にも登場します。 『往生要集』と言えば、思い出されるでしょうか? 源信は神童の誉れ高く、わずか15才ながら、村上天皇の前で『称讃浄土経』を講じるという名誉を得ました。 講義後、天皇は御感のあまり、お誉めの言葉と褒美の品、そして、僧都の位を源信に授けました。 源信はご下賜の品々を、故郷に独り住む母に送りました。 ところが、母は、それら全てを源信に送り返し、このような手紙を添えました。 「あなたが、立派な学僧になられた事を嬉しく思います。 うちには女の子はたくさんおりますが、男の子はあなた一人です。 その大事なあなたを、元服もさせずに比叡山に登らせたのは、偉い坊さんだと、世間にもてはやされるためではありません。 ひたすらに、真実の道を求めて、それを私に教えて欲しかったのに他ありません。華やかな場所に出入するような人になって欲しかったのでは、決してないのです。 もう私は老い先長くはありません。 お前が本当の聖人になるまで、私は死んでも死に切れません。 後の世を 渡す橋とぞ 思いしに 世渡る僧に なるぞかなしき 」 観無常 無名利・・・無常を観ずれば、名利なし 地位や名誉、人から褒められたい、よく見られたいと思う心の影法師。 ・・・学歴も資格もないよりも、あれば、便利なこの世の中。 地位や名誉で、人が変わる姿も、目にしてきた。 お前自身が偉いのか?それとも、その地位が偉いのか? 金襴のお袈裟をつけて、黙ってりゃ、偉いお坊さん。 褒められば、悪い気はしない。そして、威張り腐って、自ら腐る。 金・金・金と金を追いかける心の影法師。 ・・・金が全てじゃないって、きれいに言えない年齢になってきた。 金があるか、ないかだけで、人生が変わる事も知っている。。 子供がいれば、なおさらの事。学校に通わせるのも、ただじゃない。 金だけが己の力だと錯覚し、金を求めて、人に逃げられる。 世渡る僧・・・世渡る経営者、世渡る主婦、世渡る政治家、世渡るホスト、世渡るサラリーマン、そして、世渡る私。 個人では、モラルやルール。企業では、コンプライアンス。 そんな最低限の事でさえ・・・ あんな大人になんかなりたくねぇや、と思ったガキの頃の影法師に指をさされ、笑われてはいないだろうか? さぁ、もう一度。 いまから・・・ここから・・・ MEMO 1、人生は歩く影法師 北方謙三 2、源信9才の頃、近くの小川で鉢を洗う僧を見ての問答 源信「お坊さま、向こうの川の方がきれいですよ」 僧侶「すべてのものは、浄穢不二じゃ。 きれい、きたないは凡夫の心の迷い。このままでよい」 源信「それじゃ、どうして鉢を洗うの?」 ※ 鉢でなく、手を洗うも有 ※ 道元禅師 本来本法性天然自性心 3、頑魯 |
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法話 8 Comments |
Comment
自分を見失わないということ
「人生は歩く影法師」という北方謙三さんの言葉は僕も大好きな言葉です。大好きな作家でもあります。
自分には同じ影でも、歩く道によって凸凹になったり、伸びたり縮んだりと様々に形を変える。世間や他人に見えている「自分」とは、その時々の影みたいなものだ・・確か、そんなことを言っておられたと思います。
>お前自身が偉いのか?それとも、その地位が偉いのか?
これは、すべてに言えることですね。社会生活だけでなく趣味の世界、音楽などの世界にも言えると思います。
僕は最近ソロギターを演奏してます。オリジナルも作りますが人様の曲をコピーもします。その時いつも感じるのはそれが難曲であればあるほど、「自分がすごいのではない。作者と作品がすごいのだ。自分は逆立ちしてもこんな曲は作れないんだ」という厳然たる事実です。
だから逆に謙虚な気持ちになりますね。
ちょっと意味合いが違うかな・・・
でも、自分を見失いそうになった時、思い出したいいい話ですね。
自分には同じ影でも、歩く道によって凸凹になったり、伸びたり縮んだりと様々に形を変える。世間や他人に見えている「自分」とは、その時々の影みたいなものだ・・確か、そんなことを言っておられたと思います。
>お前自身が偉いのか?それとも、その地位が偉いのか?
これは、すべてに言えることですね。社会生活だけでなく趣味の世界、音楽などの世界にも言えると思います。
僕は最近ソロギターを演奏してます。オリジナルも作りますが人様の曲をコピーもします。その時いつも感じるのはそれが難曲であればあるほど、「自分がすごいのではない。作者と作品がすごいのだ。自分は逆立ちしてもこんな曲は作れないんだ」という厳然たる事実です。
だから逆に謙虚な気持ちになりますね。
ちょっと意味合いが違うかな・・・
でも、自分を見失いそうになった時、思い出したいいい話ですね。
白蓮華さん
様々な思いの中で、起業をご決断されたのでしょう。利潤も肩書きも大切な物のひとつですが、もっと、大切なものがある事を、貴女のように心の奥に留めおく姿に、迷わない・めげない・挫けないものを感じます。
初一念、どうぞ、お大切に。
初一念、どうぞ、お大切に。
ひろみつさん
好きな作家は、安吾とリルケ、つかこうへい
でしたが、ご縁があり色紙を頂きました。今では、何処にあるのか・・・?
心は、コロコロ変わるものであるけれども、変わらないものがある事を信じる。それが、謙虚な姿に現れるのでしょう。日々反省、日々修行です。
でしたが、ご縁があり色紙を頂きました。今では、何処にあるのか・・・?
心は、コロコロ変わるものであるけれども、変わらないものがある事を信じる。それが、謙虚な姿に現れるのでしょう。日々反省、日々修行です。
論語の中に私の一番好きな言葉があります。
「人知らずしてうらみず、また君子ならずや」
人がどう思っていてもいい、そんな事いちいち気にしない。それが君子だよ。
地位や名誉があれば人が擦り寄る。
逆に無ければ人は離れる。
お天道様に恥ずかしくない生き方をして、それがどう判断されようと自分は自分。
褒められようが、けなされようが気にしないです。
私はそういう生き方を、死ぬまで貫きたい。
そして、生きている限り人の役にたちたい。
ブランド物のバックや、オシャレな家や、車。
沢山持っている人を見ると、心の奥底が空っぽのような気がして可哀相になります。
人間は、地位や名誉を得る為に生まれてきたのではないのにね。
「人知らずしてうらみず、また君子ならずや」
人がどう思っていてもいい、そんな事いちいち気にしない。それが君子だよ。
地位や名誉があれば人が擦り寄る。
逆に無ければ人は離れる。
お天道様に恥ずかしくない生き方をして、それがどう判断されようと自分は自分。
褒められようが、けなされようが気にしないです。
私はそういう生き方を、死ぬまで貫きたい。
そして、生きている限り人の役にたちたい。
ブランド物のバックや、オシャレな家や、車。
沢山持っている人を見ると、心の奥底が空っぽのような気がして可哀相になります。
人間は、地位や名誉を得る為に生まれてきたのではないのにね。
神原さん
自ずとそれらが集まる人もいれば、他を騙し、盗み、奪って集める人もいます。
名利そのものを否定はしませんが、それを得んが為に、大切なものを見失う事がない事を説いております。
名利そのものを否定はしませんが、それを得んが為に、大切なものを見失う事がない事を説いております。
この私
「この私」でなく「一僧侶」として歩んでいく、ということを大事にしたいと思っています。
「この私」の思いが強いと、源信僧都のお母さんに叱られてしまうことでしょう。
いつも自らを掌に写して、気をつけて生きていきたいと願います。
(ところで慧さんも安吾がお好きでしたか。私も安吾同好会に若い頃入っていました。安吾について書いたログもあります。)
慧さんの文学的な文章に、いつも心惹かれていましたが、なるほどと納得した次第です。
「この私」の思いが強いと、源信僧都のお母さんに叱られてしまうことでしょう。
いつも自らを掌に写して、気をつけて生きていきたいと願います。
(ところで慧さんも安吾がお好きでしたか。私も安吾同好会に若い頃入っていました。安吾について書いたログもあります。)
慧さんの文学的な文章に、いつも心惹かれていましたが、なるほどと納得した次第です。
風月さん
「この私」が問題ですね。
仮に名づけて、身となす。まさに、捨つべき・・・
二十歳の頃、安吾の全集を揃え耽読しておりました。そういえば、数年前、安吾のお墓参りをする機会を得ましたよ。なんだか、気恥ずかしい思いをしました。「こんな所に、来るんじゃない」って、叱られたようで・・・
仮に名づけて、身となす。まさに、捨つべき・・・
二十歳の頃、安吾の全集を揃え耽読しておりました。そういえば、数年前、安吾のお墓参りをする機会を得ましたよ。なんだか、気恥ずかしい思いをしました。「こんな所に、来るんじゃない」って、叱られたようで・・・
お前自身が偉いのか?それとも、その地位が偉いのか?
金襴のお袈裟をつけて、黙ってりゃ、偉いお坊さん。
褒められば、悪い気はしない。そして、威張り腐って、自ら腐る。
そうならないようにと思えるようになったのは自ら起業した時でした。
会社勤めをしていた時は、地位や名誉。
何百人からの選出、何千支社の中の上位。
周囲は放ってはおかない。
肩書きさえあれば、大体何でも通る。
人が寄りついてくる。
でも、偉いのは自分でなく「肩書き」。
それで自分を見失う・・・。
今は肩書きがあっても、素の自分。
自分自身を見つめる…いい機会だと思っています。