|
11/11/2006 Sat 08:35 |
遺偈 竺雲恵心禅師
メールで質問をいただきました。
尚、以下は、ご諒解をいただき、転載及び加筆いたしました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 禅宗については門外漢ですが、ご教示いただけないでしょうか。 東福寺二百十三世・竺雲恵心の遺偈に、以下の言葉があるそうですが、 何を意味しているのでしょうか? 天然而死 天然而活 更問如何 喝 大衆珍重 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 遺偈とは禅宗の僧侶が、末期に臨んで門弟や後世のために遺す偈の事です。 口伝で毎歳の正月に作るように、伝えられております。 東福寺二百十三世・竺雲恵心禅師は、安国寺恵瓊の師僧ですね。 【原文】 天然而死 天然而活 更問如何 喝 大衆珍重 【意訳】 あるがままに死んでいくもの あるがままに活きているもの この「あるがまま」が、しっかりと、おわかりですか? 喝 皆さん、しっかりと励みなさいよ。 天然を、私は、ひとまず、あるがままと訳しました。 あるがままとは、野放図なやりたい放題の自由や鍛えられていない無邪気さの事ではありません。 私たちは、この体を、自分の物のような気で生きております。 もし、体が自分の物ならば、自分の思い通りにできるはずです。 目覚まし時計をかけて朝おきたり、カロリーを計算してダイエットをしたりはできるけれども・・・ 思い通りになるのなら、風邪をひいたり、癌になったりはしないでしょう。 冷静に考えてみれば、この体ひとつ、自分の思いどおりにできない事に気付く事でしょう。 つまり、自分の体さえも、本当は、自分の物ではないという事。 禅宗では、父母未生以前、本来の面目を述べよ、と言います。 お前さんのご両親が生まれる前、お前さんはどこにいたのか、という問いです。 お父さんとお母さんが出合って、赤白の二滴から、私が生まれた・・・ オトンもオカンも生まれてないのに、自分なんかがおるわけがない・・・ でも、これじゃあ、お話になりませんね。 これでよければ、これまでの人でございます。 父母未生以前とは、 俺とお前、勝ったと負けた、良いと悪い、そんふうに、物を二つに分けて見る前のところは、何か?という事です。 もっとはっきり言えば、この世界の根源とは何なのか?という事です。 いかがですか? この世の根源は、無だ、 空だ、 と早合点される方も多いですが・・・ 昔の暴走族でも、旗に、色即是空・空即是色って書いてありましたが・・・ もし、弟子がそんな虚無観や安悟りの見解を師に呈したならば、 師は弟子を打ち据えてでも、その誤った見解を奪い取ったものです。 黒闇の鬼窟や野狐禅を絶対に許しませんでした。 竺雲恵心禅師の答えは、天然でした。 下克上の時代、大きな無常観を抱いて、刻苦精励し、何年も何十年も入室参禅を繰り返しての答えが、天然でした。 天然を、私は、あるがままと言い換えましたが、本当は、言い換えてはならない言葉であります。 竺雲恵心禅師の天然は、たとえ釈迦や達磨の前でも、天然であります。 遺偈を穏やかに意訳しましたが、実は、目ん玉をひん剥いて、弟子の胸倉を掴んで、さぁ、解ったか‼と、問い詰めているのであります。 さぁ、お前は天然が解ったか‼ さぁ、天然について、何か言うてみよ‼ 安逸な暮らしの中で、数冊の本を読み、それで人生を纏め上げれると思うようでは、竺雲恵心禅師は決して許してくれないでしょう。 じゃあ、この天然を解るためにはどうすればいいのか? 禅の坊主としては、よき師について坐禅を、と言うより答える術がありません。 あまりにも不親切な答えと思われるかもしれませんが、お解かりの暁には、これほど親切なことはないと信じております。 では、お大切に。 法慧 合掌 メモ;竺雲恵心禅師は、毛利元就の嫡男隆元が尊信していたとの事。 |
|
法話 11 Comments |
Comment
おはようございます
本覚法門思想
>天然を、私は、あるがままと言い換えました
岡野守也、という人がありまして、曹洞宗でも結構名前が通るようになったと思います。
サングラハ心理学研究所の主宰者。
http://www.smgrh.gr.jp/
サングラハ教育・心理研究所のホームページ (岡野守也先生が主宰する研究所HP)をご参照のこと。
彼が言うには、ですが、この「あるがまま」が、実は、差別の温床になる可能性が高い、と言っておりました。
まさしく、口に出して言っておりました。(どこかにテキストとして書いてある、ということではありません)
では、彼はどのように言い換えたか?
「なるがまま」と言い換えました。
どっちがどう、ということではないのですが、これもご参照までに。
>本当は、言い換えてはならない言葉であります。
ええ、これが「正解」であることは、当然のことですが。・・・とはいえ、現代日本語にどう言い換えるかは、我々の修行ですね。
岡野守也、という人がありまして、曹洞宗でも結構名前が通るようになったと思います。
サングラハ心理学研究所の主宰者。
http://www.smgrh.gr.jp/
サングラハ教育・心理研究所のホームページ (岡野守也先生が主宰する研究所HP)をご参照のこと。
彼が言うには、ですが、この「あるがまま」が、実は、差別の温床になる可能性が高い、と言っておりました。
まさしく、口に出して言っておりました。(どこかにテキストとして書いてある、ということではありません)
では、彼はどのように言い換えたか?
「なるがまま」と言い換えました。
どっちがどう、ということではないのですが、これもご参照までに。
>本当は、言い換えてはならない言葉であります。
ええ、これが「正解」であることは、当然のことですが。・・・とはいえ、現代日本語にどう言い換えるかは、我々の修行ですね。
ウルダスさん
師家と言う言葉も、死語になっちまったのでしょうかね。
大閑道人さん
サングラハの信者でないので、何とも言えませんが・・・岡野さんの意見は意見として受け止め、研鑽していきたいですね。
あるがまま
あるがままとは、「これは私である。これは私でない。故にこれは私である。」ということだ、と思います。
つまり、「もの」は世界の「もと」を成しており、「世界」はものの「もと」と成っている、ということが、つまり「空」であるというのです。
生活の場に現成することは、この「世界」の中から因縁によって体験されるもので、「世界」の内の一部分に過ぎないものである。
以上のようなことを西谷啓治という哲学者が、その著「宗教とは何か」の中で述べておられると私は受け止めています。
つまり、「もの」は世界の「もと」を成しており、「世界」はものの「もと」と成っている、ということが、つまり「空」であるというのです。
生活の場に現成することは、この「世界」の中から因縁によって体験されるもので、「世界」の内の一部分に過ぎないものである。
以上のようなことを西谷啓治という哲学者が、その著「宗教とは何か」の中で述べておられると私は受け止めています。
zazen256さん
西谷啓治氏は京都学派なんですね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
易しい言葉ほど理解するのが難しいような気もします。 で、「理解する」とか「わかる」というのはどういうことなのかというと、それもわからなくなるような。 一つの言葉でもその日によって違う意味に思えてきたり。 言葉や思想って不思議です。 法慧さんの書かれたブログを何度か読むと、読むたびに違うメッセージを感じたりします。
観る
諦観に至るまでが大変です。
理解すると言うより
体感するといった方が近いかもしれません。
言葉とは歯がゆいものですね。
いつもご苦労様です。
理解すると言うより
体感するといった方が近いかもしれません。
言葉とは歯がゆいものですね。
いつもご苦労様です。
きよみさん
先日は、ありがとうございました。
remainsさん
なかなか、知音は現れないものです。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
>>この世の根源は、無だ、 空だ、 と早合点される方も多いですが・・・中略・・・黒闇の鬼窟や野狐禅を絶対に許しませんでした。
わたしはいま眼蔵で有時の巻と並行して諸悪莫作の巻をみているんですが、あらためて読んでみて道元は善悪には自性がないといいますが、しかしそれを空無ばかりと誤認してしまうと、つまり所謂断見外道になってしまうと諸悪莫作の巻はなにがなんだかわからないように構成されていると思いました。道元恐るべしと思った次第なんですが、そのことを上記の文を読んでいてあらためて思いました。このへんの感じ分けが一番むずかしいですね。